おばあちゃんは95歳だけど、いつも元気だった。
通学路にあった家では毎日のようにおやつをくれた。
それも、二階から投げるという何とも遊び心のある人で、そんなおばあちゃんが亡くなるなんて想っても見なかった。
いつも笑ってて、悲しいことなんて何もないのだと想っていた。
おばあちゃんが亡くなる前、おばあちゃんの家はお墓を新しくした。
今思えばおばあちゃんの老化を家族が気づいていたのかも知れない。
古いお墓をあけるとそこにはいくつもの人骨が散らばっていた。
長く続く家なので何十人もの遺骨があったのだと想う。
そのとき、いきなりおばあちゃんが作業を止めて、お墓の中にはいっていった。
当然皆がおばあちゃんを止めたが、おばあちゃんは聞かずに、お墓の中で腹を抱えるようにうずくまった。
何事かと息子さんが近寄ると、おばあちゃんは泣いていた。
聞くと、そこには生まれてすぐに亡くなった
おばあちゃんの母が眠っているのだという。
物心ついたときにはもう母親はいなかった。
写真も大衆的ではなかった時代。
母親を感じることが何も出来なかった時代。
自分のために置かれる墓石の作業中に初めて感じた母のぬくもりだったのかもしれない。
おばあちゃんはしばらく何十人分の骨を抱えて泣いていた。
この中にお母さんがいる。
そう叫んだらしい。
そこには、いつもの明るいおばあちゃんの姿はなかったと、母が言っていた。
村で一番長生きで、何でも知っているおばあちゃんにそんな過去があったなんて、誰も知らなかった。
この話を母から聞いて、恥ずかしいことに高校生の私は母の前で泣いてしまった。
人には誰しも悲しい過去があるのだと始めて知った。
今の自分がいかに恵まれているか考えると、おばあちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
今は母に何もしてやれてないけど、これからいっぱい親孝行しようと想う。
そうすればきっと、私は母のぬくもりを忘れることはないだろう。